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東京冒険紀行

東京に的を絞った冒険記。失われつつある追憶の風景・ワンダフルな建築物・愛しの公園キャラ・物語る廃墟・入りにくいけどイイ店・御馬鹿スポットから知られざるディープスポットまで...街で見つけた素晴らしいもの面白いものを独自の視点で紹介!!!

 

給水塔に見守られて 「秋津駅周辺」

以前も秋津駅周辺はお届けしたが、最近の当ブログの小さなブーム“西武線沿線の団地巡り”に乗り、秋津駅周辺にも団地が複数あると知り再訪。

秋津駅周辺11
まず北口を出てすぐに見える「都営秋津町五丁目アパート」。
団地の象徴、給水塔が立っている。

秋津駅周辺12
白い円盤型でスカイブルーの柱。爽やかな青空カラーだ。

秋津駅周辺13
築年数はそこそこだろうか。
駅前という立地の良さから、おそらく人気の物件だ。

秋津駅周辺14
続いてはこちらのモダンマンション、「JUNプレジ秋津」。

秋津駅周辺15
実はこちら、俺が幼稚園時代に住んでいたマンション。1978年築。
当時はマンション名も違った。おそらく当時は真新しいマンションだった。

秋津駅周辺16
今見ると70年代らしいモダンさを感じる。

秋津駅周辺17
前回の駅周辺でも紹介した丸ポスト。
至る所で現役です。

秋津駅周辺18
しばらく歩くとまた団地が現れた。
こちらは「野塩五丁目アパート」。

秋津駅周辺19
ここにも給水塔がある。
都内に多い円盤型。

秋津駅周辺20
秋津町五丁目アパートとは逆に、スカイブルー円盤に白い柱。
同様に青空とよく似合う。

バスで行かないと遠い団地もあり、今後も注目の駅だ。
さて次回は、もう一つ秋津の団地を紹介。
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失われた風景⑩

街の風景は移り変わりが早い。都内では尚の事だが、目まぐるしく変わりゆく風景の中で、失われ忘れ去られる風景。
今回は新宿区と渋谷区の、大規模な風景を中心に。

霞ヶ丘アパート00
まずは新宿区霞ヶ丘町にあった「都営霞ヶ丘アパート(霞ヶ丘団地)」。

霞ヶ丘アパート01
元は100戸の都営住宅として長屋形式で建てられ、1964年の東京オリンピックに際して1960年代に建て替えられた団地。

新国立競技場1
くしくも新国立競技場建設の敷地拡張によって、取り壊しとなった。

新国立競技場2
交差点には名前が残っている。
跡地は2020年に明治公園として開園する予定。

渋谷駅周辺再開発
こちらは元の写真は無いが、渋谷駅周辺の大規模な再開発の様子。
渋谷で昭和の風情を残していた一角も、この通り生まれ変わろうとしている。

原宿駅周辺01
これも大きな話題。
都内で現存する木造駅舎で最も古い「原宿駅」。

原宿駅の時計
建物は二階建てで、尖塔付きの屋根に白い外壁という、イギリス調のデザイン。

原宿駅11

原宿駅12
観光スポットとして外国人にも有名な駅舎だが、2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けて、駅舎の建て替えを含む改良工事が発表されている。

特徴の多い小規模団地 「石神井公園団地」

西武線沿線の団地の中でも、住宅地にひっそりとある団地。

石神井公園団地01
こちら「石神井公園団地」。1967年竣工。
「阿佐ヶ谷住宅」に続いて、最西部三区の住宅地にある小規模団地。

石神井公園団地02
案内図を見ると、雁行型の棟に児童公園を細かく取り込んでいる特徴的な配置。
それ以外にも、様々な特徴を持った団地なのだ。

石神井公園団地03
大きなカーブを描く川に沿った、川沿いの棟。
集合住宅にありがちな、単純な平行配置ではない。

石神井公園団地04
こちらが雁行型の住棟。

石神井公園団地05
団地では珍しい、ギザギザ型のヴィジュアル。
標準的な平行配置とは、見た目の印象も一線を画す。

石神井公園団地06
お、向こうの方に塔が見えてきたぞ。

石神井公園団地07
こちらが当団地の給水塔だ。
石神井公園団地08
縦長の八角形という珍しい形状。

石神井公園団地09
また、アート要素が多いのもこの団地の特徴。
公園にもオブジェ的な物が随所に設置されている。

石神井公園団地10
壁アートもオブジェも、岡本太郎みたいなアート性。
60年代~70年代の明るく力強いアートである。

日本初の公園墓地 「多磨霊園 後編」

前編に続き、「多磨霊園」のその広大な敷地を歩く。

多磨霊園11
名誉霊域通りには、想像通り多くの著名人の埋葬者も眠っている。

多磨霊園12
こちらは詩人・北原白秋の墓。

多磨霊園13
そんな通りに荒れてしまっている墓があった。
先日の台風の影響もあるのでしょうが。

今回当霊園を訪れるにあたり、あえて著名人の墓がどこにあるかを特に調べずに来た。
多磨霊園14
歩いて発見する方が、本来の掃苔の在り方だと思ったからだ。
しかし、どうしても訪れたい墓が一つあり、この広大な敷地をあてどなく探して回るには困難。

つい一つだけ調べてしまった。
墓所の詳細な位置は、「区・種・側・番」でネット上にも記されているのだ。
多磨霊園15
それがこちら。
大好きな岡本太郎と、その両親・岡本一平と岡本かの子の墓である。

多磨霊園16
こちらが岡本太郎とパートナー敏子の墓。
元々こちらは1967年に発表した「午後の日」という作品。太郎の死後にパートナーである敏子が暮石として選んでいる。

多磨霊園17
そしてこちらが両親・岡本一平と岡本かの子の墓。

多磨霊園18
父・岡本一平の墓石は太郎の「顔」という作品。

多磨霊園19
こちら母・岡本かの子は観音像。
詩人で仏教を研究していたこともありこのような暮石になったそうだ。

多磨霊園20
そんな両親の墓を見つめるようにして、岡本太郎の墓があるのだ。
頬杖をついて微笑みながら見つめていると思うと、こちらもほっこりさせられる。

やっぱり岡本太郎の作品には、何というか活力をもらえるなぁ。
来てよかった。

日本初の公園墓地 「多磨霊園 前編」

以前も「掃苔シリーズ」として、「雑司ヶ谷霊園」などお届けしたが、今回もそんな冒険記事。

多磨霊園01
府中市および小金井市をまたいだ場所にある都立霊園、「多磨霊園」。

多磨霊園02
日本初の公園墓地であり、以後の日本の墓地のありかたのテンプレートとなった霊園である。

1923年(大正12年)に開園。長い歴史と緑の多い広大な敷地の公園墓地。
多磨霊園03
面積は都立霊園としては最大の128万237平方メートルで、東京ドーム27個分に相当。
もちろんその中には多くの著名人の埋葬者も眠っている。

多磨霊園04
園内の地図。
意外だったのが、著名人等の墓の案内が全然無いことだ。大抵は何らかの形で案内があるものだが。
まぁ埋葬者の絶対数が多いため、書ききれないのもあるのだろう。

多磨霊園05
園内のほぼ中央を横切る名誉霊域通り。

多磨霊園06
この名誉霊域には、
こちら元帥海軍大将・山本五十六をはじめ、東郷平八郎・古賀峯一の3名が埋葬されている。

多磨霊園06
こちらは同じく元帥海軍大将・東郷平八郎の墓。

多磨霊園08
当初、こちら多磨霊園は東京市街から離れていたこともあり使用する者は少なかったそうだが、東郷平八郎が埋葬されたことにより、多磨墓地の名前が広まり知名度・利用者が増えたそうだ。

多磨霊園09
名誉霊域の中央あたりに聳え立つ、シンボル塔。

多磨霊園10
元々は噴水塔としての役割であり、今では古代遺跡のような風格が漂っている。

後編へ続く
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